The Makingと作る価値がある物とそのコスト

The Makingのアーカイブ

先ほどのエントリで、データが飛んだと書きました。
資料的な価値が高い地球ふしぎ大自然のDVDに焼いてない分が飛んだのは確かに痛いですが、録画したものは全部見たからDVDやアーカイブに適切にアクセスできると思います。
また、クローズアップ現代は興味のあるやつは録画した分は見たし、
エロ関係は空たんのゲームが6本も新調されるから当面必要ないから、
一番大きな損失は、未見がたくさんあったTheMaking。

そんな感じで嘆いていたら、例の友達に↓のページを教えていただきました。
http://sc-smn.jst.go.jp/4/series.asp?i_series_name=THE+MAKING
これはすごい。
過去に放送されたTheMakingのほとんどがRealMedia形式でストリーミング視聴できる。
原子力発電所ローソク、電池、貨幣、プロセスチーズなど、一部公開が終了しているものもありますが、180以上の映像が公開されています。
お勧めは178番のコーンの缶詰。
以前にも書いたけど、これは必見。

TheMakingをみるとなんとなく思うこと。

昔の人が夜なべをして編み物とかをして少しずつ少しずつ溜めてきた工夫の積み重ね、
そして科学によるそれらの加速がこういうものを生んだのかと思うと、人間ってすごいね。
でも、積み重ねがすごくなり過ぎてて人間とワザが離れていってしまってる感はあるかな。
昔の人から続いている工夫なり努力の積み重ねという累積的な知的コストが、
それらを経ずに個人がシンプルに行う良かれと思ってやる努力の相対的な価値をさげてしまっているって事だ。


現代社会だと、夜なべをして手袋を作るという努力*1をしても、
ほとんどの場合、工場で大量生産された手袋の方が出来がよく、また価格も安いだろう。
また、ブランド物のほうがありがたがられるだろう。
気持ちがうれしいんだ!!といったところで、その価値は、特定の人にしかわからない。
そして、現代社会では、あげた人ともらった人だけでは生活していけない。
食べ物を作ったり、家を作ったりする人たちにもわかる価値を個人で付加できることはほとんどないのだ*2


でも、個人の努力の相対的な価値が下がってしまうような努力を続けていって、
先人の物とは質的に違うものを人間の知的資源の山につんでからでないとかないと、
人間は次の世代に交代するという意味で、意味的に死ねない。
最近そういう風に思うようになってきている。

*1:紡糸や編み方などにも高度に蓄積された知的コストがあるが・・・

*2:昔はよかったとか夢があったとかいうのは、蓄積された知識にアクセスするのが難しく、個人の努力の価値も高かったし、それなりの張ったりも利いたからでしょう。情報技術の進歩に伴い、蓄積された知識へのアクセスが容易になるとともに、知識ををうまく活用する必要が強くなってしまいった。シンプルな努力ではどうにもならなくなったのだ。このため、閉塞感を漠然と感じる人が増えたんじゃないかな。