太陽電池の耐用年数と人間の耐用年数

太陽光発電の利用には高齢者ほど消極的、内閣府調査 - nikkeibp.jp - 環境
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/eco/425465


60歳以上では太陽電池の耐用年数より長く家にいられると考えている人の割合が、
若い年代に比べてが少ないのではないだろうか?
耐用年数である10年間で、病院や老人ホームへ入ったり、
病気で死んでしまったりするリスクを考えると、
経済的なメリットから太陽電池をお勧めするのは適切ではないと思う。


また、定年で仕事がなくなるから、節約する性向も高まると思うし。
150万円も一気に払うって言うのには躊躇するんじゃないかな。
自家用太陽電池発電システムが高いだろうって事は知っていると思うし、
太陽電池に対して調べようとも思わないだろう。

全体として、経済性や快適さを犠牲にしてまで環境に配慮することはないとする傾向が目立った。

と言うのはしょうがないのではないかなと思う。


今後、情報処理能力が上がり、作業の自動化が進むにつれ、
人を大量に動かせる人や組織と言うよりも、
エネルギーを効率よく大量に消費できる人なり組織なり国が、
リアル世界にインパクトを与える傾向が強くなると思う。
資源小国日本は、強力な再生可能エネルギーである太陽光の利用を常に念頭においておかないと、
一人一人が使えるエネルギー量の差で、不利な状況におかれてしまう時代がくるかもしれない。
単に、エネルギーを消費して、製品を製造する経済的競争だけに影響を与えるだけで済めばよいが。
特に意識してプログラムを作らなくても情報収集や処理を自動的にやらせる、
ルーチン化したリアル作業をやらせる、さらには脳への入出力も効率化するような発明がなされた時、
すべてにおいて根本である、個人の知的な生産の段階で不利な状況におかれてしまうかも知れない。


NEDOが想定している技術戦略マップ(分野別技術ロードマップ)(サイズがおおきいPDFファイルなので注意)では、
脳への入出力も効率化するようなことは考えられていないけど、いずれ誰かがやりそうだし。
必ずしもこのとおり行くわけではないが、ユーザビリティについてのロードマップを見ると、
海外生活を送るのでなければ、英語に関して勉強する必要も薄れてきてしまうのかなとも思ったりする。
そう思っても、今はやらなきゃダメなんですよw
これらの技術が実用化される前に寿命がきてしまうかもしれないから。